2009年06月16日
cogito, ergo sum

一切を疑うべしDe omnibus dubitandumという方法的懐疑により、
自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、
そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない

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Posted by くろたろう at 21:22│Comments(2)
│その他日常の徒然
この記事へのコメント
こんばんは~!
デカルトですね~?
マトリクスの世界に通ずるものがありますよね~?
何が現実かって?
考えている自分がいるという現実だけは確かなもの。
みたいな~。
でも、なんかしっくり来ないところも感じますけどね~!?
人の考え(意識、作用)なんて、結局生きて関わったひと、見聞きしたものなんかの影響大きく受けてるといいますし・・・。
それって凄く不確かなものだと思いませんか?
デカルトですね~?
マトリクスの世界に通ずるものがありますよね~?
何が現実かって?
考えている自分がいるという現実だけは確かなもの。
みたいな~。
でも、なんかしっくり来ないところも感じますけどね~!?
人の考え(意識、作用)なんて、結局生きて関わったひと、見聞きしたものなんかの影響大きく受けてるといいますし・・・。
それって凄く不確かなものだと思いませんか?
Posted by JiJi
at 2009年06月16日 21:59

JiJiさんおはようございます
現実って何でしょうね?
自分の日々感じてる現実って他人の感じてる現実とは違うだろうし。
でも考えている自分が存在しているのは間違いないのですよね。
確かにその考えている自分は他の外的要因に意識付けられたもので、
その考えている自分は果たして自分の本質を突いているのかなんてことは一生わからない訳で…
(我思う故に我あり)ですか?
また暇があればよく考えてみますよ、アンダーソン君(笑
現実って何でしょうね?
自分の日々感じてる現実って他人の感じてる現実とは違うだろうし。
でも考えている自分が存在しているのは間違いないのですよね。
確かにその考えている自分は他の外的要因に意識付けられたもので、
その考えている自分は果たして自分の本質を突いているのかなんてことは一生わからない訳で…
(我思う故に我あり)ですか?
また暇があればよく考えてみますよ、アンダーソン君(笑
Posted by くろたろう at 2009年06月17日 08:22
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